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京都府の最北端、日本海を望む京丹後市で「かさい食堂」を夫と共に営むのは、言語聴覚士の笠井幸子氏。
自身の病気や病院勤務時の経験から、食べられないつらさ、寂しさを実感し、無意識に区別される世の中を解消したいと考え、大きな一歩を踏み出しました。それこそがインクルーシブ(障がいの有無や年齢・性別などに関わらず、すべての人がともに生きる)な社会を目指した活動で、その軸は“インクルーシブクッキング”や“地域イベントの開催”などです。今回はその活動内容や笠井氏が考える理想の社会についてお話を伺いました。
かさい食堂、Seat Table代表
言語聴覚士

私は言語聴覚士として、長年、病院で勤務してきた経験の中で、飲み込みが難しい方と数多く接してきました。病院で提供される嚥下食を前に、なかなか食が進まず、つらそうにしている姿を幾度となく見てきました。栄養をとるために必要な食事であっても、そこに「おいしい」「楽しみ」という感覚が伴わなければ、人を元気にすることはできない。そう感じていました。また、医療の現場において嚥下食は、飲み込みが難しい方のための特別食として提供されていて、健常の方と分けられています。飲み込みが難しい方や障がい者と健常の方と無意識のうちに、世界が分けられているんですね。その「分ける」ということに対し、私の中で違和感がありました。
私も幼少期から神経難病のひとつ、シャルコー・マリー・トゥース病(末梢神経障害により四肢の筋力や感覚が低下する病気)を患っていたので、どちらかというと分けられた立場でした。どうしてもマイノリティは、弱者で支援される側の立場になってしまう。だからこそ、そういう区別のない世の中になってほしいという気持ちを、誰よりも強く感じていたのかもしれません。
転機となったのは、当時勤務していた病院の近くにあった、かさい食堂へ嫁いだことでした。初めてかさい食堂の巻き寿司を食べたときから「これを嚥下食にしたら、みんな喜ぶやろな。食べてもらいたいな」と思っていました。とは言っても、私自身が常勤で病院に勤めていたこと、働き方を変えることへの経済的な不安もあり、すぐには一歩を踏み出せずにいたのです。
一歩進むきっかけになったのは、私が骨折して車いすユーザーになったことです。入院期間中に「自分にあった働き方ってないのかな」と模索するようになり、「後悔のない生き方をしたい」という気持ちが芽生えました。その思いが後押しとなり、かさい食堂での嚥下食提供に本格的に取り組むようになったのです。
とろみ材やゲル化材は病院勤務時代から知っていましたが、実際に自分で嚥下食を作るとなるとほとんど手探りでした。まずは「一緒に勉強してもらえる?」と主人を誘って嚥下食の講座へ参加しました。その上で、かさい食堂のメニューを、その方の食べる力に応じて「歯ぐきでつぶせる」、「舌でつぶせる」などの段階が作れるよう調整しました。「普通の食事」と「そうではない食事」を「分ける」のではなく、同じ巻き寿司でも段階を作ることで「同じ場で同じメニューを選べる」ための工夫です。障がいがある人もない人も、同じ空間で同じメニューを食べ同じ時間を楽しめる、その前提を作りたいと考えました。加えて、車いすでも入りやすい動線を考えるなど、課題を一つひとつ解決し、かさい食堂での嚥下食の提供をスタートさせたのです。
それから1年、嚥下食の提供を続けていましたが、私が思い描く区別のないインクルーシブな社会を実現するために、かさい食堂にとどまらず、もっとたくさんの人へ、もっと外へ広げていきたいと考えて始めたのがインクルーシブクッキングです。
初回こそかさい食堂での開催でしたが、その後は京都市内の商店街にある図書館を会場に、調理器具も食器も食材もすべて車に積んで持ち込むところから活動は広がっていきました。車でなければ行き来しにくい地域に店があるからこそ、「待っているのではなく、自分が出ていこう」と考えたのです。現在では滋賀、石川、北海道、鹿児島など全国各地へ足を運んでいます。
インクルーシブクッキングは、単に嚥下食の作り方を教えるだけの料理教室ではありません。食べることだけを目的にした場でもありません。障がいのある方もない方も同じ空間で一緒に料理をし、同じ作業や行動を共有しながら、参加者同士がお互いを知り、関係性を育み、「自分にもできるかもしれない」と思える空間をつくる場です。
障がいのある人が「手が不自由だから」「目が見えないから」と遠慮していたとしても、同じ場にいる人が自然に手を添え一緒にバーナーで肉を炙る。誰かが大げさに「手伝いましょうか」と言わなくても、目の見える人と見えない人が寄り添い同じ作業を楽しむ。そうした瞬間を私は各地で見てきました。もちろん、会場の動線やトイレ、車椅子での入りやすさ、メニュー設計など、参加しやすい環境は事前に整えます。しかし、場が始まれば関係は自然に生まれていきます。
インクルーシブな空間とは特別扱いではなく、最初から誰もがそこにいることを前提にした場であり、その空間を創るための重要な手段として「飲み込みが難しい人”も”食べられるメニュー」すなわち「嚥下食」を活用しています。
みんなで作る嚥下食には、かさい食堂の出汁や地域の食材を使います。物性を調整するために、とろみ材の「ソフティアS」、ゲル化材の「ソフティアG」「ソフティアU」を用途に応じて使い分けています。
インクルーシブクッキングと並行して取り組んでいるのが「町づくり」です。
嚥下食というと「病院や介護現場で提供される特別なもの」といったイメージがありますが、今現在どれだけ健康な人でも病気や加齢によって、いつ飲み込みが難しくなるかわかりません。特に京丹後市の場合は「百歳長寿の町」とも言われるほど高齢者が多いのでとても身近な問題です。だからこそ、病気や障がいの有無に関わらず、食べられる食事があることを知っていただきたいのです。さいわい、“食”は本当にいろいろな人が関われる分野です。年齢性別はもちろん、業種も職種も問いません。そこで企画したのが、2026年4月に開催したインクルーシブレストランです。
丹後の食材を使ったインクルーシブなコース料理を、誰もが同じ場で楽しめるイベントとして企画しました。クラウドファンディングで資金を集め、多くの方にご賛同いただきました。開催までの期間は京丹後の町を回り、「力を貸して!」「一緒にやりませんか?」と、たくさんの飲食店やお店に業種問わずに声をかけました。その甲斐あって、会場は市内のバリアフリー居酒屋に決まり、丹後で有名なバーテンダーさん、テーブルフラワーを担当してくれる方、町のレストランの調理師さんなど、地域のさまざまな人が力を貸してくれました。イベントは二部構成でしたが、おかげさまでどちらも満員御礼。遠く山形県から参加してくださった方もいて、年齢やご病気、障がいを問わず多くの人がインクルーシブな空間を体験しました。
今回提供したお食事は、京丹後の希少な牛肉、京たんくろ和牛のローストビーフなど、地元丹後の恵み5品を盛り合わせた前菜、新玉ねぎのポタージュ、サワラのムース、丹後ばら寿司、甘酒団子ぜりぃととろみくろもじ茶のデザート。皆さん「おいしい」と喜んでくださり笑顔の絶えない時間になりました。
今後は、屋外で「インクルーシブ梨狩り」や「インクルーシブバーベキュー」を開催する予定です。
私たちは何のために食べるのか。
その根底には「同じ空間で同じ時間を過ごしたい」、「好きな誰かと笑いあいたい」という気持ちがあります。ただ食べるだけではなく、一緒に食べることが大切だと思うんですね。「ここでしか食べられない」とか「これしか食べられない」というのは、本当の豊かさとは違います。
そうした思いを叶えるために、私はこれからも食事だけでなく、さまざまな側面からインクルーシブを社会や暮らしの中に実装する、“インクルーシブ実装家”として取り組みを続けていきたいと思います。