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飲み込みが難しくても、家族や友人と同じ料理を"おいしく"味わえる時間をつくりたい——。京料理屋や老舗旅館で腕を磨いてきた藤原史朗氏は、料理人として何を目指すのか葛藤する中で、「目の前のお客様を喜ばせたい」という想いにたどり着きました。そして、修業時代の仲間から聞いた嚥下食で、その想いが実現できると確信し、サービス提供を決意します。嚥下食と通常食を同時に提供する「出張えんげ食 ふじ家」の立ち上げに至る道のりと、初めての提供で見えた手ごたえ、今後の展望についてお話を伺いました。
出張えんげ食 ふじ家
https://www.instagram.com/fujiya.eng2025/

1999年に料理人として働き始めて以来、ミシュランガイド掲載の京都の有名旅館で腕を磨き、高級和食店で料理長を務め、常に上を目指してきました。技術を高め、自分のこだわりを提供できる料理人になりたいと思っていたのです。
しかしその方向性に迷いが生じたときに、「お客様が自分のこだわりに合わせてくれる料理」ではなく「自分がお客様に合わせる料理」を作りたいと考えるようになりました。そして、目の前の人を喜ばせる料理へ舵を切った、その延長線上で嚥下食に出会ったのです。
その出会いは、京都の修業時代から縁のある「嚥下食 叶和」(滋賀県東近江市)の岩崎勝氏との会話からでした。高齢化が進むなか「本当は食べたいのに、食べることをあきらめている方がいる」という現実を初めて聞き、それに応えられるのが嚥下食であるということを知ったのです。
さらに、岩崎氏から聞いた、嚥下食 叶和でのお客さまとのエピソードが衝撃的でした。「会席料理を食べられるのはこれが最後だと思います」と言いながら、ご家族と来店した飲み込みが難しいお客さまが、帰り際に「また来ますね」とおっしゃった…。嚥下食ってすごいな、と心底思ったのです。そして、自分の料理人としての経験が、食べることをあきらめている方たちの役に立つかもしれないとも思いました。
嚥下食を提供することは、いつもの調理以上に手間がかかるうえに、お客さまの命に関わる可能性のある大変な仕事です。一方で、その大変さの壁、いわば"嚥下食の壁"を越えれば、社会貢献にもなり、自分の仕事の幅を広げられる。そしてこの後の人生を賭けられる仕事となるのではないか…と考え、嚥下食が必要で外食が難しい方にも料理をお届けできるよう「出張えんげ食 ふじ家(以後、ふじ家)」を立ち上げることを決意しました。
ふじ家では、お客さまの自宅などに訪問して、通常の食事と嚥下食を同じメニューで提供します。飲み込みに問題がある人でも、家族や友人と同じメニューの会席料理を一緒に"おいしく"食べていただくところがサービスの軸です。嚥下食には、医療機関でも使用されているニュートリー社製のゲル化材などを使用します。
オープンに向けてまず、嚥下食 叶和でゲル化材やとろみ材の特徴や使い方のほか、嚥下食を召し上がるお客さまの気持ち、その家族や介助する方の想いについても教えていただきました。技術の話だけでなく、「どうお客さまに向き合うか」という部分がとても大きかったのを覚えています。そのときの印象は「医療寄りで難しそう、自分にできるのだろうか」という迷いでした。
しかし、やると決めたからにはやるのが自分です。東京に戻ってからは気持ちを切り替え、SNSを立ち上げ、試作を重ねる日々が始まりました。これまでより1時間早く起きて試作、仕事から帰ってきてからもひたすら試作です。通常食を作り、ミキサーにかけて加工しては、正解が分からないまま食感を確かめ、見た目を整え、実際に食べてみて考える。その繰り返しです。ミキサーをかけるのに加える水分量と味、固さのバランスのほか、どうやって加工しやすくかつおいしくできるか…自分を納得させるために必死でした。
試作にあたっては、岩崎氏から紹介してもらったニュートリーの担当の方に、ゲル化材等の製品の使い方をはじめ、さまざまなサポートを受けながら進めました。しかしその中でぶつかった壁が「自分自身で嚥下食を正しく評価できない」ことです。嚥下調整食分類2021のコード3を目指して作った嚥下食が、適した物性になっているのかどうかなど、専門知識のない自分にはよくわかりませんでした。
その課題を解決するために、ニュートリーさんのご協力のもと、医療・介護従事者向けの試食会を開催することになりました。試食会は、実際に医療・介護に携わる方に物性やサービス内容についてご意見をいただける機会となりました。
試食会ではおばんざい、お造り三種、焼き物、土鍋御飯の嚥下食を提供しました。ふじ家のサービスで予定している、フルラインナップといってもよい内容です。試食会を通して、土鍋御飯ではうなぎとごはんのかたさの違いが食べにくさにつながることや、裏ごしが足りずざらつきが気になるなど、具体的な改善点が多く見つかりました。一方で、「味が濃くておいしい」という評価もいただき、加水して作る必要のある嚥下食での味付けに自信がつきました。
さらにニュートリーさんと嚥下食に造詣の深い先生方を訪問し、嚥下食を試食していただきました。
先生方からは、「おいしかった」「このざらつきが逆にいいね」「いろんな物性を楽しめる」という嬉しいフィードバックの一方、管理栄養士の先生方からは、患者さんのご自宅で調理する場合の懸念点やコード3の方ばかりではないという現実をご指摘いただきました。
こうした専門家の試食を経てさらに試作を繰り返し、確実な自信がついた状態で開店の10月7日を迎えることができました。
2026年3月、実際に飲み込みが難しいお客さまのところに伺って嚥下食と通常食を提供することになりました。高齢者施設に入居されている画家のお客さまと、その方が主催していた絵画教室の生徒さんとのお食事会です。
絵画教室では以前、よく先生と生徒のみなさんとで食事会が開催されていて、とても楽しい時間だったとのこと。飲み込みが難しくなってからはその時間を持つことはできなくなったそうなのですが、この日がなんと3年ぶりの食事会となりました。お二人とも心待ちにされているとのことで、その楽しい時間の実現のために、準備を入念に進めました。
嚥下食は、歯科医師の先生と相談しながらゲル化材の添加量を0.1%単位で調整。そして、当日を迎えました。
通常食、嚥下食を作るのに許された時間は約3時間。提供したのは4品の会席料理です。通常食を作ってからミキサーにかけ、嚥下食にしていくので、作ってはミキサーにかけて、ミキサーを洗って、次の1品に取りかかり…と必死です。
そして、ご提供の時間になりました。笑顔で「いただきます」のあと、「おいしいね、これもおいしいね!」と、次々に口にされていました。その様子を見て、生徒さんが「先生!味わって!ゆっくり食べてくださいね!」と何度も声をかけていらっしゃる。そしてお互い「おいしいね」と顔を見合わせて笑顔になる。その会話や表情一つ一つにお二人の歩んできた世界観が垣間見え、その真ん中にはふじ家が提供した料理がある。その光景をずっと見守っていたいような温かい気持ちとともに、この仕事へのやりがいを改めて熱く胸に感じました。
通常食であれ嚥下食であれ、お客さまへ料理を出すのは、一発勝負です。この料理でお客さまがどんな反応をされるのかな?と、喜ぶ顔を想像しながら調理します。ふじ家のサービスでは、お店でよりもより近い距離で"嚥下食"という特別な料理を提供します。ご家族や友人と同じメニューを同じ食卓で食べるという、特別な「思い出」をたくさん提供できるよう、引き続き料理に力を注いでいきたいと思っています。
一方で、ふじ家や「料理人が作る嚥下食」を認知してもらうことが、何よりも大切です。知られていなければ、「食べたい」という思いを叶えてさしあげることもできません。おかげさまで開業を決めてから立ち上げたInstagramはフォロワー数が2000人を超えました(2026年5月現在)。SNSなどでの発信も継続しながら、「関東で"嚥下食と言えばふじ家"」というポジションを確立したいですね。
このSNSを通じて届いた、私自身の嚥下食にかける想いへの共感や応援の声には、これまで本当に勇気づけられ支えられてきました。また、嚥下食に関わる料理人や医療・介護従事者、そしてもちろん飲み込みに問題のある当事者、ご家族の方など、みなさん熱い想いを持ちつながっていくのが"嚥下食の世界"です。
岩崎氏の話を聞いて、ふじ家の開業を決意したのが2024年の10月7日。そこから「食べたいをあきらめない」という想いを実現するために、調理の手間や物性といった"嚥下食の壁"を乗り越えるべく嚥下食に挑戦し続け、"嚥下食の世界"にいらっしゃる多くの人の熱い想いに触れてきました。その結果今、私はすっかり"嚥下食のとりこ"です。完璧な答えがすぐに出る分野ではありませんし、まだまだ試行錯誤中です。ただ、料理人として"食べること"に向き合ってきた経験を、誰かの食事のかけがえのない時間にできるかもしれない――その可能性を信じて、一つひとつ積み重ねていきたいと思っています。