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死への境界線を越えていく 最期のワンスプーンをどう描く? 尊厳ある食を求めて

ライター:宮崎 詩子

最期は何が食べたいか

あなたは最愛の人の“最期のワンスプーン”のために、100万円用意したとします。これは多いのでしょうか、それとも少ないのでしょうか。

愛する人の“最期のワンスプーン”を描くということは、その時が来るまで支援を継続させることを意味します。当然、亡くなるのが1週間後になるのと1年後になるのとでは、ストーリーはまったく違ったものになります。

我が家は、退院1年後のタイミングで祖母の積極的なリハビリを終了させました。その理由は、支援する家族の疲労が限界に達していたからです。

家族介護にタイムカードは存在しない、それが仕事として行う介護との決定的な違いです。限界を超えて介護を続けることは不可能ですし、私は家族の経済破綻と健康破綻は患者支援における敗北だと思っています。

そうした事態を招かないためには、“最期のワンスプーン”というゴールから逆算してケアの設計を行い、家族をゴールに向かうレールに乗せてあげる必要があります。

つまり、支える家族が患者の発する変化のサインに気付き、丁寧なケアを継続できる暮らしを医療関係者の専門性によって実現していくということです。

V字回復支援は急こう配の山を登る挑戦のようなもの。全力で、必死に進み、安定した状況を手に入れることができたら、次に考えるのは下山です。足元に咲く花や鳥の声を楽しみながらゆっくりと安全に下山する道を選ぶことこそが正解であり、その余力を残すことがV字回復のゴールだと思います。

ところが、「もっと高い所を目指せるのではないか? 道はまだ続いている」と思ってしまいがちです。道の先が断崖絶壁かもしれないのに……介護の意思決定で最大の難所といっても良い場面です。

尊厳ある食のために家族が実施したあれこれ

私は下山へと方向転換するために、次の4つのステップが必要だと考えています。

1.全力で挑戦したという事実
2.望んでいた成果を得たという事実
3.これ以上は自分の身が危険だという実感
4.予期していなかった素晴らしい成果

当初、初回の胃ろう交換のタイミングで胃ろうそのものを外し、経口摂取だけにしたいと考えていました。そうすれば将来、老衰の判断を行い、胃ろうからの栄養補給中止を検討する必要がなくなるからです。

しかし実際には、胃ろうは最期まで付けたままでした。急速な食べる力の回復は、そのまま生きる意欲の回復でもありました。その祖母に接した母や妹は「もっと介護を続けたい。口からの食事は続けるけれど、自分たちの負担軽減のために水分補給と服薬のルートを確保しておきたい」という意志を持つようになりました。私は2人の意思を尊重して、自分の意見は胸の中にしまいました。ステップ2までは達成しましたが、下山の条件の3と4が揃っていなかったからです。

その後の半年で、祖母はさらに回復しました。詳細は前回書いた通りですが、実は、私には「内緒の目標」がありました。それは麻痺によって硬直した祖母の手を個性や表情を感じられる状態に戻すことでした。祖母の手からは緊張が消え、「懐かしいひろちゃんの手」に戻っていました。これがステップ4です。

私は家族を集めて、ステップ1~4の事実を述べてから「私たち凄いことをしたね」と勝利宣言をしました。そして「だからこの勝利宣言を持って積極的なリハビリは終了、これからは最小量のケアにします」と続けました。誰もが納得しました。困難な山を登頂した爽やかさがありました。

もしも「内緒の目標」を家族と事前に共有していたら、4ではなく2になってしまいます。下山への方向転換は失敗に終わっていたでしょう。

「最期はどうなりたいか」ということ

この日を境に私たちは「衰えていくことに寄り添う」暮らしに切り替えました。ケアはします。でも前のめりではありません。大好きな人と“ただ一緒に時間を過ごす”という時間をようやく手に入れることができました。2年半かけてゆっくりと穏やかに、看取りの時期に向かいました。

・美味しいと感じる物を味わうこと
・大好きな人と楽しく食事をすること

この2つが揃った時に、幸福な時間が生まれます。本人、家族、医療関係者がもれなくこのことを実感できている状態が「尊厳ある食」の実現といえるのではないでしょうか。

祖母は2012年の1月に風邪をひいて、一時的に絶食になりました。体調の回復を待って経口摂取を再開し、胃ろうからのペースト食の注入で量も戻していきました。ところがこの時、今までにない変化がありました。食後ベッドに戻り、横になってからの眠りが浅いのです。ある日、かすかに「うー」という声と共にげっぷをしました。よっぽどの苦痛がない限り音を発することのない祖母です。「もしかして食事量が多すぎるのでは?」と考えて、思い切って半分に減らしました。結果は安眠熟睡、やはり量が多すぎたのです。

これを機に、私は再び立ち止まりました。看取りの時期に達しているのではないか? というテーマと向き合うために、これまでの数カ月を丁寧に振り返りながら祖母の変化を整理していきました。実は同時期に、むくみと小さな褥瘡が出現しました。血管がもろくなっていて、腕をつかむとすぐにあざができてしまいます。下血も常態化し、減る方向ではなさそうです。脳出血がいつ再発してもおかしくない状況に思えました。私たち家族にとって老衰とは、健やかな状態で死を迎えることです。家族もそれぞれが祖母の旅立ちの時期に来ていると感じていました。

3月中旬、医療的ケアの卒業を決めました。再び絶食にし、水分の補給も止めました。しかし、食べる意欲の有無を確かめる必要はあります。飢餓状態にするわけではないからです。口腔ケアを続けることで祖母のサインに気付けるようにしました。水だけでなくハチミツを口に含ませたりもしました。ゆっくりと飲み込みましたが、入院中に見せたような反応はありません。「必要ないんだな……」という印象が重なっていきました。

部屋を美しく整え、心地よい香りと音楽を流しました。妹はフェイスマッサージをし、私は身体のコリをほぐしました。母に寄り添い、歌を歌ったり話しかけたりしました。父は湯たんぽを用意しました。ケアスタッフも「きっと最期になる」ケアを行いました。

むくみは消え、褥瘡も治り、安眠・熟睡の日々でした。しかし、食べる意欲が戻ることはありませんでした。絶食から10日後の4月6日の午後、94歳で旅立ちました。

その日の夜遅く、仕事を終えた主治医と看護師を招き、祖母の亡骸を囲んで、美味しい日本酒とお寿司を食べました。長年、多くの看取りを経験してきた医師は「人間て、こんなに綺麗に死ねるものなんだね」と言いました。とても賑やかで楽しい時間でした。

祖母が望んだことは日常の中で生き、日常の中で死んでいくことだったと思います。

最期はケアの中にあるキュアすらも手放しました。そのおかげで母は認知症になった自分の母親との絆を取り戻すことが出来ました。“最期のワンスプーン”は、遺族が前に進むための“最初のワンスプーン”でもあるのです。

 

著者プロフィール:宮崎  詩子

ダイアローグ・メソッド・アソシエーション 代表理事
株式会社テレノイドケア 代表取締役

1976年東京生まれ。人形作家として活動する一方、約15年間、祖母の介護に没頭し、お洒落で楽しく幸せな介護を実現。その経験を社会資源にしようと2014年一般社団法人ダイアローグ・メソッド・アソシエーション(D–Method)を姉妹で設立。在宅ケアの患者家族代表として活動し、これから介護と向き合う方々には最初から幸せな体験をしてもらいたいと思いノウハウを色々な形で事業化。車椅子生活をお洒落にするスカート型のひざかけ(販売KISS MY LIFE)や大阪大学基礎工学部 石黒 浩 教授が開発したテレノイド™を用いた介護職向け研修サービス『テレノイドケア』の事業化を手掛ける。2017年株式会社テレノイド計画代表取締役就任。著書に『老いを育てる―在宅介護のエトセトラ』(医薬経済社)

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