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食べられなくなってからの美食生活 胃ろうだから出来る 回復への道筋

ライター:宮崎 詩子

胃ろうだから「食べるのはNG」?

祖母に胃ろうを造設した後のお話です。ある日、病室で看護師さんと短い会話をしました。私は世間話のつもりで、「退院後は自宅で摂食嚥下リハビリをしてもらうつもりです」と言いました。すると看護師さんはちょっと困惑した表情になり、「胃ろうを付けたのは食べられないからで、食べられるようになる想定はないですよ」というコメントが返ってきました。

看護師さんにしてみれば「この人は不可能なことを言っている」、「事実の理解が伴っていない」と思えたわけですから仕方ないことかもしれません。また「期待を膨らませすぎることは残酷だから、セーブしなくては」という焦りもあったのかもしれません。

私は「そうですよね」と言い、彼女の優しさだけを受け取りました。

看護師さんは病状の把握や治療方針の決定プロセスの主体者ではありません。ですから病状や治療方針に関する質問をしても、「それはドクターに聞いてください」と言ってコメントを控えることが常です。ところが前述のような場面では、つい自分の見解を述べてしまうことがあるのです。

このようなことを書くと「もっと看護師の管理を徹底しなければ」という意見が出るかもしれませんが、それは間違いです。大切なのは「入院は非日常である」という社会の常識を、医療従事者が忘れないことだと思います。

退院して、日常に戻ることによって自然に起こる患者さんの良い変化を急性期病院の医療関係者が想像することは不可能です。でも、確実に変化し、そのことを家族は理解しています。

このギャップに目を向けることが大事だと思います。退院後の在宅療養生活でどのような治療、リハビリテーション、栄養、口腔への介入が可能なのか、機器や資材はどのような使い方をしているのかを学ぶことで、退院後の可能性の芽を育てるための適切なアドバイスが行われるようになるのではないでしょうか。

高齢者医療を語るとき、「キュアからケアへ」という医療関係者向けの意識改革の表現がありますが、私は正しくは「ケアの中にあるキュアを探求する」だと思っています。

栄養は胃ろうから、美味しいものは口から味わって

祖母が退院した日の夕方のことです。金属のスプーンでアイスクリームを口に含ませてあげました。入院している間に整えた穏やかで美しい自宅のリビングで、緊張が解け、ゆっくりとアイスクリームを飲み込む祖母の様子を見て、私たち家族は幸せを感じ、そして満足しました。もう思い残すことはありません。

あとは高い目標に向かって前進あるのみです。その目標とは、半年後の胃ろう交換時に胃ろうを外すことでした。経口摂取を確実に行える状態まで復帰することを目指し、24時間体制でリハビリに取り組む計画を立て、私は2カ月間仕事を休むことにしました。

退院直後の祖母はパンパンにむくんでいたので、胃ろうから栄養を着実に摂取しながら廃用症候群の進行を止め、改善させるために、体位変換やおむつ交換時のマッサージ、胃ろう摂取時の車いす移動など、できる限り体を動かす支援をしました。

特に、車いすや褥瘡予防のエアーマットレスといった居心地の良いものは極力使わないようにして、あえて居心地の悪い環境を作ることで、本人の「心地よく過ごしたい」という欲求を刺激して自ら動き出すようにしたのです。

例えば、ベッドから食卓への移動も歩きます。チークダンスを踊っているかのように抱き合いながら、私は自分の足を祖母の足に引っ掛けて麻痺側の足を前に動かしてあげるのです。すると、動く側の足が一歩踏み出します。こちらも必死ですが祖母も必死です。食後の移動では、我慢していたおしっこを夢中になって歩いている間に出すというオマケも付きます。

食事はというと、退院の翌日から深めのスープ皿で緑茶ゼリーを作り、手づかみで食べるように手の動きを支援しました。手が口元に近づけば、口が自然と開きます。自分の力で食べたという実感は「美味しい」を構成する大切な要素です。

これが私の考えた、食べられるようになるために必要なリハビリプログラムでした。私にとって「尊厳ある生」を支えるとはこういうことでした。

すると7日後には、脱力状態だった麻痺側の腕や足を祖母自身が動かし始めたのです!

その後は、ゼリー、茶わん蒸し、ペーストのご飯、バナナと、食のバリエーションはどんどん広がりました。第2回の記事で紹介した「火入れソース」も大活躍です。2カ月後には安定して経口摂取ができるようになり、胃ろうは完全に補助的な存在に。また栄養補助剤も使わなくなりました。訪問看護師さんからは「もう訪問看護は卒業でいいわね」と言っていただけるまでになりました。

退院初期に集中的にリハビリをすることで、長く続く慢性期の療養を軽装備のケアに持ち込むことができます。家族の経済的負担はもちろん、患者さん本人の肉体的・心理的な負担も軽減されるため、介護する側も介護される側も最期まで持ちこたえることが可能になるのです。

結果はこうなった

筋肉をほぐし、鍛えて、使う。暮らしの中で続けたケアの成果によって、1年後の祖母は美しい筋肉を身につけた91歳の女性になっていました。

祖母はしゃべりませんし、目も見えません。欲求の表現力が麻痺した要介護5の全介助のままです。けれども、食べる姿勢を作り、指先にバナナを触れさせれば、自分で口元に運んで食べることができます。

好物のネギトロ丼はあっという間に完食です。これは酢とめんつゆで味付けしたペースト状のご飯に、めんつゆで味付けしたペースト状のマグロを乗せるだけで完成。隠し味は、食べる直前にかけるおしょうゆです。

介護度評価に来た方が「こんなにたくさん食べるのですか? しかも20分で?! 信じられない……」と目を丸くしていました。

飲むタイプのコーヒーゼリーも大好き。ストローを使ってゴクゴク飲みます。最高難易度の「水」も飲めます。わが家に関わることになった医療介護のスタッフたちも、幸せを感じていたと思います。しかし退院から1年後のタイミングで、私たち家族は積極的なリハビリを終了することにしました。

さて、ここから少しだけ後日談を。祖母が入院していた2008年当時、書店で手に入れて参考にした数冊の本がありました。『新しい介護学 生活づくりの食事ケア』(雲母書房刊)はそのうちの1冊です。それから6年が経ち、2014年にとある研修会に招かれて講演をしたのですが、その際、偶然にも金谷節子先生の講演を拝聴して胸を打たれ、また光栄なことに先生も私の講演に感銘してくださいました。そして帰りの車中、ずっと気になっていたことが――。自宅に戻り、しまっていた本を探し出して見てみると、そこには金谷先生の名前があったのです。

 

著者プロフィール:宮崎  詩子

ダイアローグ・メソッド・アソシエーション 代表理事
株式会社テレノイドケア 代表取締役

1976年東京生まれ。人形作家として活動する一方、約15年間、祖母の介護に没頭し、お洒落で楽しく幸せな介護を実現。その経験を社会資源にしようと2014年一般社団法人ダイアローグ・メソッド・アソシエーション(D–Method)を姉妹で設立。在宅ケアの患者家族代表として活動し、これから介護と向き合う方々には最初から幸せな体験をしてもらいたいと思いノウハウを色々な形で事業化。車椅子生活をお洒落にするスカート型のひざかけ(販売KISS MY LIFE)や大阪大学基礎工学部 石黒 浩 教授が開発したテレノイド™を用いた介護職向け研修サービス『テレノイドケア』の事業化を手掛ける。2017年株式会社テレノイド計画代表取締役就任。著書に『老いを育てる―在宅介護のエトセトラ』(医薬経済社)

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